東急東横線渋谷駅地下の広告スペースに掲示された「安室奈美恵×docomo 25th ANNIVERSARY」タイアップ広告ポスター。安室ちゃんが活躍した25年間を象徴的に語る。2017年(平成29年)12月27日撮影。
7.平成を駆け抜けた安室ちゃんの軌跡
「平成の歌姫」と謳われる安室ちゃん。それは一般的には栄光と挫折そして復活と突然の引退という言葉で語られます。また「CAN YOU CELEBRATE?」あたりで記憶が途切れている人が多いのも実情でしょう。
安室ちゃんを、時代の流れに翻弄されつつもメゲなかった歌姫と見るか、セルフプロデュースを新たなスタートであるとして大きな覚悟をもって前向きに進んでいったアーティストと見るか。私たちの「視点」をどちらに置くかで、安室ちゃんの「奇跡の復活」と25年間の軌跡の姿はまるで変わってくるはずです。今までふれてきたように、安室ちゃんのコメントを追ってみた場合にその軌跡はどのようにたどれるのでしょうか。
・デビューして苦節3年。小室哲哉さんプロデュースのもと、歌って踊るという自分の一番の得意とするところで一躍、時代の寵児となります。その一方で安室ちゃん自身は「始まりがあれば終わりもある」という大人びた、ある意味では常識的な思いを持ち続けていたようです。
・2000年(平成12年)末で小室哲哉さんプロデュースをはなれ、その後はセルフプロデュースを選択します。一般的には試行錯誤の始まりと捉えられていますが、安室ちゃん自身は、セルフプロデュースの開始を文字どおり新たなスタートと捉えていたと思います。そして自分がいいと思う優れた音楽をファンにどうしたら提供できるかという視点で悩んでいたのではないでしょうか。
・しかし周囲は単に以前の(小室プロデュース時代の)安室奈美恵の人気と比較しての売り上げという視点しかない。当時のファンの多くもそういう安室奈美恵を期待していました。売り上げを上げるということは、周囲からすると人気の回復を意味し、安室奈美恵からすると自分が良いと思う優れた音楽を多くの人に聴いてもらえることを意味している。同じ事象について異なる意味に捉えていたことになります。前者の見方はNHK放映の「告白」や平成史スクープドキュメントが語るように、今だに一般的な認識でしょう。
・プロデューサーである安室ちゃんとしても周囲のその様な見方に無関心であるわけではなかったと思います。「しかし一時はCDのセールスが落ち、「あのころの安室ちゃんが良かった」という声が世に蔓延って(はびこって)いた時期がありました。自分の道を突き進むのか、迎合するのか、彼女がそれを全く考えていなかったわけがなかったと思います」[20]。しかし彼女にとって売上を回復させることは、単なる人気の回復ではなく新たなスタートを切った「安室奈美恵」を売り込むことなのであったわけです。
・思い悩む中で出会ったのが「SUITE CHIC」プロジェクトへの参加(2002年(平成14年)後半~2003年)。「細かいことは抜きにして、今自分が楽しいと思うこと、歌いたいと思うもの、ほんとに自分がやりたいことを自由に形にすればいいんだなって思ったらすごいラクになったんです。」(前掲[8])これはその後の安室ちゃんの方向性の基本となっていきます。
・迎合するのではなく、また突き進むだけではなく、安室ちゃんは別の選択をします。「ところがいざ楽曲を発表してみると、ファンの方が”あれ?なんか、ちょっと違う”って違和感を感じていて。つまり、みんなは”強い安室奈美恵”を求めてたんです。その反応を見た時、私は「私がやりたい音楽を貫くんじゃなくて、ファンの方が求めていることに応えたい」と思った。我を貫くこともできたかもしれないけど、みんなの期待に応えることが、その時の私の中でベストだと思ったんです。」(前掲[14])
・また同時に、受け手であるファンの頭の中でのイマジネーションで完成させていく方法で、「かっこかわいい、強い安室奈美恵」というアイコンを確立させていきます。「自分自身から醸し出すのが無理なところは、(無理に演じるのではなくて)詞の世界観とか楽曲のリズムやビートで出して、音楽の力で自分を強い安室奈美恵、かっこいい安室奈美恵に持って行く、というのをやっていく」(前掲[15])。受け手のイマジネーションで完成させるという手法は「本来は音楽家や芸術家が当たり前のようにやってきたこと」(前掲[20])。このことは安室ちゃんが優れたアーティストであることを意味しています。
・「かっこいい強い安室奈美恵」が、自分が良いと思う優れた音楽を歌って踊ってファンに提供する。新たな安室奈美恵の進む方向性が確立したことになります。
・良いと思う優れた音楽を、歌って踊ってみんなに届ける。セルフプロデュース以降、全てのプロデュース活動はそのためだけに一貫して行っていきます。変わりゆく平成の世の中で、それをみんなうすうす感じ取っていたので、「安室ちゃんはブレない」という評価が定まった。。。
・安室ちゃんはライブでのファンの反応でその表現方法を工夫し、作品の完成度を高めていきます。またファンの頭の中でのイマジネーションで「かっこかわいい強い安室奈美恵」を完成させていく方向でプロモーションを進めていきます。自身からの発信にはこだわらず、結果としてTV出演から遠ざかり、YouTubeなどのSNSには過度に露出せず、ライブでのMCすらを省略するにいたります。そして平成最後の10年間を駆け抜けます。
・安室ちゃんがまだアイドルであったころ、そのプロデュースは小室哲哉さんのもとで行われていました。そこで安室ちゃんは周囲の大人たちの行動を凝視し、いろいろなことを吸収します。小室哲哉さんの手法はライブでの観客の反応を重視します。その後の安室ちゃんもライブとファンの反応を重視しました。ライブのために年単位のプランを考え、準備しました。「全てはコンサートのためにある仕事なので。コンサートを中心に楽曲も選ぶし撮影するし振り付けもするしという感じでした。」[21]
・すべては最高のステージのため。「最高にいい安室奈美恵」がそこに見える。そこをゴールのイメージとして目指す。引退はその道筋にあった事柄なのではないでしょうか。
・安室ちゃんの25年間は、自分がイイと思った音楽たちを、どう表現したら皆に伝えるられるかに心血を注ぐ年月であったと思います。
安室ちゃんには、みんなに見せたい世界があった。
それは安室ちゃんが感じとれる素晴らしいものたちであり、彼女のその想いは「これからも素晴らしい音楽とたくさんたくさんぜひ出会ってください」という皆への最後のメッセージへとつながっていったと思います。
世の中には作詞や作曲でそれを伝えようとする人もいますが、安室ちゃんはファンと対話しつつ歌とダンスで表現する道を選んだ類まれな優れたアーティスト(芸術家的な表現者)だったと言えます。(「安室ちゃんの25年間~」の文章は、2020年9月13日追記)
・平成を駆け抜けた安室ちゃんの軌跡は、以下のNHK和久田麻由子アナウンサーの言葉が一番ぴったりと当てはまるように感じます。「あるべき姿をひたむきに、真面目に追求することで、一つの時代を築き上げることができたのだと感じます。」[22]
引退に際して安室ちゃんが残した自身の手形。2018年8~9月に渋谷109特設コーナー「SHIBUYA109 LOVES namie amuro」にて展示された。碑には「あなたの素敵な毎日に素敵な音楽がいつもあふれていますように」とある。2018年(平成30年)9月16日撮影。