NHK総合 安室奈美恵「告白」 2017年11月23日放映画面より。
(1)「安室ちゃん苦悩の時代」はいつ?
「どういうふうに脱出していいのかも、だれも教えてくださらないし、誰にもあまり相談も出来なかったので、落ち込むばかりであった。」(前掲[7]NHK「告白」より)
「誰にもあまり相談もできなかったので」というフレーズは、さすが「孤高の女王」にピッタリ感でかなりショッキングな印象でした。ではそんなに安室ちゃんが苦悩していた時期は一体いつなのでしょう?
セルフプロデュースしたばかりのこの頃の安室ちゃんの悩みは、一般的には、10代で築いたものがあまりにも大きかったことへのプレッシャーや結果がすぐに出ないことへの葛藤[8]、つまりは「歌手」としての安室奈美恵を自分でどのように売り出し、「歌手の安室奈美恵」に求められる数字をキープするかという悩みとしてとらえられています。(これが安室ちゃんの本当の悩みだったのかはこの後の「(2)「安室ちゃん苦悩の時代」の本当の苦悩とは?」で考えてみます。)
同じNHK「告白」[7]で、このフレーズのあとに、「もがけばいいじゃんと考えて、SUITE CHICなどのアルバムをつくり始めたりとかして、」とあり、一番悩んでいたが相談できない、辛い時期は、「break the rules」ツアーの後の2001年後半からSUIT CHIC開始前の2002年10月くらいと分かります。1年と5カ月くらい。ちょっと長いですね。(ブログ「【安室奈美恵】低迷期からの復活劇についてセールス・ライブ動員数メインで語る①(2001年~2006年)」と同じ見解となりました。[9])
(2)「安室ちゃん苦悩の時代」の本当の苦悩とは?
安室ちゃんの苦悩の時代というと、世間一般的には以下のように捉えているように思います。
「出産による一年間の休業から復帰後、小室サウンドと安室奈美恵のダンスミュージックが廃れ、新たな歌姫たちの登場やインターネットの普及によるCDの売り上げの減少が安室ちゃんを追い詰めた。歌手としての生き残りを懸けて、もがいた。」(前掲 NHK 平成史スクープドキュメント第4回[6] 冒頭ナレーションより)
セルフプロデュースを始めて、いろいろやってはみたものの、売上げ・人気ともに小室時代に遠く及ばず、「歌手の安室奈美恵」に求められる数字は達していないという安室ちゃんの思い。これはこれで正しい捉え方だと思います。
しかし安室ちゃんはやや違う捉え方をしていたのではないかと。。。
セルフプロデュースを始めることについて、安室ちゃんはとても前向きにとらえていたようです。「歌う楽曲を自分で決められるってことが当時はとにかく嬉しくて(前掲[8])」、そして手掛けたい音楽のスタイルは「かなり本格的なR&Bであったり、Hip-Hopを取り入れた」[10]ものという方向性は、かなり早い時期に思い描いていたようです。「前からありましたね。「もうちょっとこんなことがしてみたいな」っていう気持ちはありました。でもそれは難しいっていう状況もあって。」「ただ自分の意見を言い始めたり、それを形にしてもらえたりっていうやり取りが、ものすごくスローな感じではあったんですけど出てきて」[10]
安室ちゃんにとってセルフプロデュース開始とは、自分が思い描く「新しい安室奈美恵」をスタートさせることでした。
新しい安室奈美恵の方向性をどっちにするのか。数字か、やりたい音楽か。。。
さらに別の問題点も意識しています。「ただそれ(自分がやりたい楽曲を歌うこと 注 筆者記入)を具現化していくうえで、人にそれを伝えることがいかに難しいかをまだ知らなかったので、そこは大変でした。」(前掲[8])
やりたい、組み合わせたい、表現したいイメージをどう形にして、みんなに届けるのか。
安室ちゃん自身はもともと真面目で優れた音楽性を提供するアーティストでありかつパフォーマーです。自分が良いと思う、やってみたい優れた楽曲を、どうしたら皆に聞いてもらえるかということ。どう優れた音楽を発信し、とどけることができるのか、その方向へはどうしたら進めるのかというのが、この時期の根本的な悩みであったと思います。
安室ちゃん自身は人気に終わりがあることは覚悟していたでしょう。「デビューがあれば絶対に引退が来る、ていうのがニコイチのセットでデビュー当時から考えていた」(前掲[7] NHK「告白」でのコメント)と言ってのける安室ちゃんです。人気取りだけを苦悩していたのではないでしょう。人気取りのためだけにもがいていたのであれば、この時期に引退していたはずです。