コラム2 「どうみんなにみられているのかな?」 → セルフプロデュースを最初に考え始めたころ

コラム

↑ 1998年紅白歌合戦出番直前の安室ちゃんの様子。不安と緊張に包まれる瞬間。(NHK総合 安室奈美恵「告白」 2017年11月23日放映画面より)

2018年9月に引退するまでの一年間、安室ちゃんを特集するドキュメント番組では苦悩する安室ちゃんの過去の映像をよく見かけた気がします。産休からの復帰、セルフプロデュースのスタート、シングルマザー。まるで平成という時代の先頭、いや追い抜いて疾走する安室ちゃんが感じる風当たりそのものの姿のよう。では安室ちゃんは、いつ、どんな悩みを抱えていたのでしょう。

まずは、最初の大きな悩み。

1997年(平成9年)10月、安室ちゃんは小室哲哉さんプロデュース時代の人気絶頂期に突然、妊娠・結婚と一年間の産休を発表したことは皆様ご存知の通り。当時の日本は現在よりずっとコンサバな社会で、しかもバブル崩壊後の不況はますます深刻化。「歌手って人気商売なのに思い切りの良さがすごい」と心配になったことを覚えています。

当の安室ちゃんは産休に入って、テレビの画面に映る側から眺める側へ。そこで非常な焦りを感じたと言います。「一年間の産休が長いなって思った瞬間に焦りが次に押し寄せてきて」[6]産休で休業した1998年(平成10年)はCDの生産額がピークに達し、音楽エンタメ業界は活況を呈していました。SPEED、MISIA、ELT、MAXなどの活躍。

「(復帰したときに)自分の居場所はあるのか。」(NHK 平成史スクープドキュメント第4回[6] ナレーションより)復帰を快く迎えてもらえないと、居場所すら持てず、仕事ができないかも。安室ちゃんのこの時の悩みは、仕事を続ける(=子供を食べさせつつ、生きていく)ためにはどうしたらいいのか、というものだったでしょう。

しかし日本は以前とは時代が変わって、産休復帰を受け入れる時代となりつつありました。結果として安室ちゃんは復帰後最初の大ステージである1998年末のNHK紅白歌合戦で国民から暖かく迎えられます。(このときの映像も繰り返しよく放映されました。)「お帰りなさいと暖かく迎え入れてくれた。戻ってきてもいいんだと感じた」と安室ちゃんはコメントしています。[7]

この時期に安室ちゃんは自分自身ととことん向き合い、客観的に安室奈美恵を見つめるようになったとコメントしています。「焦りを通り越したときに、ふと自分を一歩引いて見ることができて、私ってこういうポジションなのかなとか、私ってどういうふうにみられてたのかなということを冷静にキャッチできるようになった。」(前掲[6]

自身がファンや国民から常に見られ、その一挙手一投足が様々に評価される存在であることに気付くわけです。道を踏み外して、反感を持たれることはないかという不安も芽生えたかもしれません。産休を経験した1998年という年は、安室ちゃんなりのモラル感の強さや、ストイックとの印象を形作るもとになった重要な時期なのかもしれません。また小室哲哉さんプロデュース後の自分の在り方について、「どうしたらいいか、ちょっとずつ考え始めた時期だったかなと思います。」(前掲[6]

世間一般的には安室ちゃんが進むべき道について思い悩む時期は、小室哲哉さんとのタッグが解消した2001年以降と思われていますが、実際にはかなり前の1998年(平成13年)からだったことなります。

 

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