1.「歌手」から「アーティスト」へ ~ 成長の時期 ~
2017年(平成28年)11月23日放送のNHK特集番組「告白」で、2001年(平成13年)にはじまるセルフプロデュースについて、安室ちゃんは以下のように語っています。
「(小室哲哉さんの)プロデュースが終了することになって、「どうするんだろう」と思っていたら、レコード会社の方が「自分で自分のことをプロデュースしなよって、(中略)そっからですね。」
当時も今も10代20代でセルフプロデュースして、世にアピールするアーティストたちは多くいます。しかし小室哲哉さんという希代のプロデューサーのもとで、小室ファミリーの歌手という位置づけだった安室ちゃんが、いきなりセルフプロデュースができると皆も本人も考えたのでしょうか。かく言う私も「そりゃ無謀だ」と思った記憶があります。「(小室さんプロデュースが終了し、)たった一人取り残された。」とNHK「告白」はナレーションしています。かように当時の世間一般では「安室ちゃんは生き残れないのでは」と感じていたのではないでしょうか。しかしインタビュー記事を紐解いていくと、実は安室ちゃんは10代の頃からセルフプロデュースを意識して、その準備と心構えをしてきたのでは? と思えてきました。
2019年(平成30年)1月20日放送のNHKスペシャル「平成史スクープドキュメント 第4回」において、安室ちゃんは、小室さんプロデュースの時期について、「敷かれたレールの上をきちんと走って行くっていうことだけにとにかく集中してて」必死であったと言っています。余計なことは考えず、遊びもせずというところでしょう。ですが一方で「いつか小室さんのプロデュースは卒業しなくてはならないということはありました。10代の頃から。」とも言っており、それは1998年(平成10年)の一年間の産休時期の後半には、より身近な感覚になっていたとのことでした。「産休明けでいろいろ考えなくてはいけないなって時に、今吸収したものを全て活用するにはどうすればいいか、小室さんを離れたあとが、本当の始まりなのかな」[1]
小室さんプロデュース終了後に備えて、今まで経験したことに加えて何をさらに吸収しておくべきなのか。具体的に考え、自ら動き出したようです。「産休後の2000年(平成12年)初めにリリースされたアルバム「GENIUS 2000」では、その歌い方・選曲・本作を基準にしたライブツアー「NAMIE AMURO TOUR “GENIUS 2000”」のイメージの表現の発案、ボイストレーニングのスケジュールのやりくりは殆どが安室の主導で行われ、小室は「ソロアーティストとしてのパワーに驚かされた」と語っている。」[2]
安室ちゃんはこのころは20代前半ですが、20代を振り返った安室ちゃんのコメントに次があります。「積み上げた努力というものだけは、必ず身になるんですよね。」[3]
この努力のなかには、きっと周りにいる有能な大人たちに混ざって一緒に仕事をし、時には議論をしつつ彼らの手腕を凝視して自分の糧にしていくことを心がけていたことも含まれるのでしょう。この時にはすでに安室ちゃんの中では小室さんプロデュース後を見据えて、その心構えと準備を進めていたのでしょう。それを小室さんを始め皆が知っていたので、安室ちゃんが今後背負う荷物がとても重いものであることを知りつつも「自分で自分のことをプロデュースしなよ」と安室ちゃんに言ったのでしょう。それはあながち無謀な策ではなく、ある意味では当然の提案だったのだと今となっては思います。
ところで過去を振り返った安室ちゃんのコメントからは、安室ちゃんが人生を「ステップ」で捉えていることが分かります。前出[1]のNHK「あさイチ」のインタビューでは10代の頃を「いろんなこと勉強させてもらって、いろんな経験もして」と振り返っています。また前出ViVi 8月号[3]のインタビュー記事では20代は「とことん悩んだ」「とにかく経験!」としています。そして「20代の経験を経て選んだものを30代で深めていって、40代はその量よりも質をあげていく。私はそういう感じでいこうかな、と思っています。変化はしていかなきゃいけないので。」と安室ちゃんが自分の人生を客観的に捉え、数年のスパンで目標を決めて歩んでいることが伺えます。
余談になりますが、安室ちゃんのこの捉え方には、東アジアの道徳規範に大きな影響を与えた古代中国の思想家孔子(紀元前551年? – 紀元前479年)の言葉に似ているところがあるように思ってしまいます。日本には40歳(=安室ちゃん引退の年齢!)を意味する言い方に「不惑」があります。この由来は孔子の言行をまとめた書物『論語』の「為政篇」のなかの「子曰 吾十有五而志乎学 三十而立 四十而不惑 五十而知天命 六十而耳順 七十而従心所欲不踰矩」という記載にあります。現代語に直すと「子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う(したがう)。七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰えず(こえず) 。」です。孔子は自分の生涯を振り返って、「15歳で学問を志して30歳で独立、40歳で迷うことがなくなり、50歳で天から授かった使命に目覚めた。60歳で人の意見を素直に受け入れられるようになり、70歳で自分の思い通りに行動しても人の道から外れることはなくなった」と語っています。この孔子の言葉から分かるのは「人間は年齢を重ねながら成長していかなければならず、短期間で完成するようなものではないということと、節目ごとに成長のステップがあり、そのひとつひとつを順に完成させていくことが人間形成への道筋だということ」です[4]。また「不惑」の意味については前述の「これからの人生をどう生きていくか迷いがなくなった」の他にやや別の解釈もあり、「自分の能力をここまでと決めず、さらに高みを目指して精進しよう」という意味もあります。[5]
15歳で音楽を志して沖縄を後にし、色々な経験と吸収をして20代でセルフプロデュースした安室ちゃん。ステップを踏むように自身を成長させてきた実感があるのでしょう。それが期せずして孔子の言葉と重なったのでしょうか。そして引退の歳である「不惑」。きっとそれは「さらなる高みを目指す」ことを安室ちゃんにとっては意味しているのでしょう。